心配・・・。
確かにヨハンは殺人鬼と化していた。
オレの知っているヨハンの面影はない。
だが、オレにはどうしてもヨハンの本性が殺人鬼だとは信じられない。


・・・。


オレは自分の気持ちに整理がつかず、口を噤んでしまった。

「結局・・・アイツが催眠術を操って狂気を繰り返した動機は分からず仕舞いか・・・」

吹雪さんがポツリと呟いた。

「吹雪さん・・・。本当にヨハンは催眠術なんかを操っていたのか?」
「んん?なんだ、十代くん。まだ僕の事、疑ってるんだ?」
「いや、吹雪さんを疑ってるんじゃなくて・・・オレには・・・ヨハンが催眠術を操って殺人を楽しんでいた事が、今でも信じられなくて・・・」

学生の頃からオレを追い駆け、いつでも傍にいてくれたヨハン。
あの人懐っこいヨハンが・・・何故、殺人を楽しむような狂気に・・・。

「一つだけ・・・僕たちの先入観で誤解があるとするなら・・・アイツは殺人を楽しんでいたんじゃないのかも知れないなぁ・・・」


えっ!?


吹雪さんの言葉に息が詰まった。
吹雪さんは慎重に、言葉を選ぶように語り出した。

「アイツが殺人鬼で・・・加えて催眠術を操れ、単純に殺人を楽しんでいたとすれば・・・全ての辻褄は合う。・・・表向きは、ね」
「表・・・向き?」
「うん。実際にそういう行動を繰り返していたからね、アイツ。だけど・・・」

だけど・・・?

「何故、殺人を楽しいと感じていたのか・・・。そう思い込んでしまったのか。そう思い込んでしまった理由、その原因、いわゆる動機・・・。もし、楽しいと感じている事すら、自分の意思でなかったとしたら・・・」

ヨハンの意思でない・・・。


・・・。


「そんな事って・・・」
「可能性があるとすれば・・・」


・・・。


オレは息を呑み、吹雪さんの口元に視線が逸る。

「自己催眠・・・」
「自己・・・催眠?」
「うん。十代くんが言ってたアイツ自身が催眠術に掛かってるって可能性だよ」

自己催眠・・・ヨハンが自ら、ヨハン自身に催眠術を掛け、狂気に走らせていた・・・。

「でも・・・、何でそんな事を?」
「さあ?あくまでも予測に過ぎないし。ハハッ。・・・ただ、その可能性があるにせよ、その立証は難しいだろうな」
「それは・・・なぜ?」
「アレだけの狂気を繰り返す自己催眠に掛かってるなら・・・かなり深い筈だ。催眠術に掛かってる自覚がなければ、立証しようがない」


・・・。


自分自身を狂わす催眠術に堕ちている事すら自覚できない程の深い暗示・・・。

「仮に自己催眠だとしても、アイツを目覚めさせる事が出来るのは・・・十代くん、キミだけだろう」

ヨハンの自己催眠を破り、救い出せるのはオレだけ・・・。


・・・。


「吹雪さん・・・協力してくれるか?」

もし自己催眠に掛かってしまっているなら、犯行時の精神状態に問題があるとして罪は問われない。
ヨハンの無実を立証する為、というより・・・オレ自身、何も知らなかったヨハンの過去を知りたくて、吹雪さんに協力を求め、ヨハンの過去について色々と調べてみる事にした。


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。
























三年後・・・




















三年前、オレたちを恐怖に陥れたあの事件の全貌は・・・吹雪さんの仮説通りに全ての辻褄を揃えられた。
ヨハンの逮捕後、あの夜最後の被害者となったユベルは、翔に付き添われ、病院に収容された。
事件後、大きな精神的ショックを受けたユベルは殻に閉じ篭もり、なかなか面談に応じてくれなかった。
重要参考人として、警察から情け容赦ない事情聴取を繰り返されたのが、ユベルの心の傷を深くし、オレすら遠ざけようとする要因となってしまった。
ユベルが警察の取り調べにも答えなかった壮絶な兄弟の過去・・・。
ヨハンとユベルは、実の父親から、虐待を受けていた。
母親は体の弱い人だったらしく、ユベルを産んで間もなく息を引き取った。
ユベルに母親の記憶は一切ない。
乳幼児の見世話は予想以上に重労働だ。
昼夜を問わずミルクを求め、泣きじゃくる。
当初、面倒見の良かった父親も昼の仕事と乳幼児であるユベルの世話とで日に日にやつれ、ストレスの矛先をヨハンが幼い体で、全て受け止める事となる。
不慣れな乳幼児の見世話と睡眠不足の日々で、柔和な性格の父親も精神が荒んでいくようになる。

『ほんぎゃー・・・ほんぎゃー・・・んぎゃー・・・』
『ったく、毎晩毎晩うるせーな・・・』
『パパ、怒らないで・・・ユベルを怒らないで・・・』
『っち、くそっ・・・』

ユベルが生まれる前まではごく普通の仲の良い幸せな家庭が、ユベルの産声と同時に小さな歪みを宿らせ、次第に膨れ上がってしまう。
ヨハンは父親の優しかった面影を知っているだけに父の荒れ狂う姿に戸惑い、いつか、元の優しい父に戻る日が来るものと信じて止まなかった。

『くすん・・・すん・・・どうしてユベルにはママがいないの?』
『うるせぇ!分かり切った事でグズグズすんな、くそガキ!』
『ごめんなさい。ごめんなさい。パパ。ボクからユベルに言っておくから・・・ユベルを叱らないで・・・』
『っち・・・』
『ユベル、泣かないで。ママはいなくてもお兄ちゃんとパパがいるでしょ』
『くすん・・・すん・・・ユベル・・・パパきだい・・・』
『なんだと、このガキャ!飯食わせて貰いながら・・・。うらっ!おらっ!黙らねぇと・・・このっ!!』
『あぅっ!んっ!!パパ、ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・』
『びぇ〜ん・・・ママァ〜・・・ママァ〜』

幼いヨハンと少し成長したユベルに暴力を振るう父親。
優しい父親の面影を知らないユベルは幼いながらにも父親を倦厭し、遠ざけるようになる。
父親はそれが面白くなく、より酷く二人にあたるようになる。

『パパなんてきだい!大っきだい!!』
『おらっ!うらっ!親を馬鹿にした目で睨み付けやがって・・・これでも喰らいやがれっ!おらっ』
『んぁっ!あぁっ!!ごめんなさい、ごめんなさい・・・パパ』
『ボク・・・ボク、ちゃんとした顔でパパを見るから・・・エヘヘッ・・・。パパ・・・、ユベルを許してあげてよ』

父親は懐かない次男にストレスを募らせ・・・より暴力的となり、虐待は日常化していく。
ヨハンは幼いながらに弟を守る為、荒れ狂う父親に愛されようと・・・気に入られようと・・・既に記憶の片隅に影を潜めた優しい父親の姿を取り戻したくて、懸命に、作り笑いを覚える・・・。
生死を懸けた処世術として。
『宝玉の輝き』と称されたヨハンの笑顔に秘められた忌まわしき過去。
歪み、荒んだ家族を・・・更なる不幸が襲うのは、ヨハンが10歳の頃だった。

『うわぁぁぁぁっ〜!?ヨハン、逃げろ!ユベルを連れて逃げるんだ!!』
『パパ・・・パパァッ!?』

穏やかに晴れた日曜日の午後・・・弟を連れて公園に出かけていたヨハンが家に戻ると、招かざる訪問者が家を占拠し、父親を拘束していた。
父親を拘束し、胸に拳銃を突き付け、焦点の定まらぬ目でヘラヘラと笑っている訪問者。
覚せい剤の幻覚症状を起こしたチンピラが家に一人で残っていた父親に襲い掛かっていたのだ。

『ウヒヒ・・・うひぃっひっひっひぃ・・・』
『ヨハン!こっちに来ちゃダメだ!ユベルを連れて逃げろ、逃げるんだ!!』

父親の叫び声が幻覚症状を起こしているチンピラを煽り立て、更なる妄想を引き起こす。

『うひゃぁぁぁ!殺してやる・・・殺される前に殺してやるぅぅっ!!』







――――――バ・・・ッァァァァァ・・・ン!!!







『ぐふっ・・・』
『うひゃひゃ・・・うひぃっひっひっひぃ・・・』







――――――バ・・・ッァァァァァ・・・ン!!!







『ぶでっぼ・・・』

父親を撃った直後、歪な笑い声を響かせたチンピラは自身の顎下に銃口を当て発砲した。
脳漿を撒き散らし、即死したチンピラ。

『ヨ・・・ハン・・・・・・』

鮮血が飛び散り、体を真っ赤に染める父親にヨハンは走り寄って声を掛ける。

『パパ・・・パパァ』
『悪い・・・パ・・・パで・・・ご・・・め・・・あふっ』
『パ・・・パ・・・パパァ――――――!』

六年ぶりに見た和らいだ父親の表情・・・。
虐待に耐え、六年間待ち続けていた父親の優しい言葉は、噴き出す鮮血に体を染め、息絶えながらに、最後に残す言葉となった。
母親を亡くした寂しさを噛み締め、六年間追い求めていた優しかった父親。
溢れ出す、真っ赤な鮮血に染まる父親を眺めながら・・・もう、殴られる事がないと・・・もう、ユベルが虐められる事がなくなると・・・安らかに息を引き取る父親の姿に子供のヨハンは、誤った安堵感を芽生えさせた。
両親を失ったヨハンとユベルは孤児院に引き取られた。
大人を警戒するようになってしまった弟を少しでも気に入ってもらう為、ここでもヨハンは、作り笑いを余儀なくされる。 自分が笑顔を作る事が、殴られる苦痛と虐められる恐怖から身を守る術なんだと思い込んでしまう。
弟を虐めないで欲しい。
自分たちを可愛がって欲しい。
無邪気な子供の欲求としてはあまりにも小さな夢。
普通の家庭であれば抱く事すらない当たり前の幸福に、ヨハンは過敏に反応して過ごすようになる。
父親の虐待から弟を守る為の偽りの笑顔に・・・。

『パパ、ごめんなさい。ボク・・・ちゃんと笑顔でいるから・・・ユベルを可愛がってあげて・・・』

幼少期の恐怖が磨きをかけ、自然と不思議な能力へと進化を遂げる。
子供の誰もが持つ親から注がれるべき愛情への欲求と繰り返される、虐待と恐怖と苦痛・・・。
虐待の恐怖と弟へ対する深い親愛の融合。
それが・・・催眠術だった。
ヨハンは処世術として催眠術を習得した。
しかし、当の本人であるヨハン自身がその自覚に目覚めるには時間が掛かる。
ヨハンが己の催眠能力と記憶に深く埋まっていた、鮮血による安堵感を覚醒させたのはオレの存在だった・・・。
別々の中学から同じ高校へと入学したオレたちは同じクラスで三年間を過ごした。
ヨハンは既にタレント事務所のジュニア級としてテレビや雑誌などに出演している存在で、初対面の印象は輝いて見えた。


・・・・・・。


互いに共通する趣味はあったが、放課後部活に勤しむオレとタレントとして活動するヨハンとの接点はあまりなかった。 当時、男より男らしい女と言われていたオレから見ても輝いていて、タレントとして人気が出る事に不思議はなかった。
ヨハンはクラスの人気者で誰からも好かれ、笑顔を振り撒いていた。 ただオレは・・・タレントとか芸能界とかに興味がなく、他の同級生のように、自らヨハンに声を掛けには行かなかった。
だけどそんなオレにヨハンはいつでも気遣い、オレを追い駆け、オレの気を引こうとしていた・・・。
それは幼少期に受けた虐待の一種のトラウマで、笑顔を振り撒き笑顔を返されないと漠然とした恐怖感がヨハンを襲っていたのだろう。
オレはヨハンの事が好きでもなく、嫌いでもなく、ヨハンから追い駆けて来ているので拒まずにいた。
既にある程度、自分の催眠能力を自負していたヨハンは効果の薄いオレに対して、常に恐怖に駆られ執拗に執着していった。
そしてヨハンの狂気を覚醒させてしまったのはあまりにも些細な日常生活からだった・・・。
それは、ある日の技術の授業中、オレはいつものように、ヨハンと無駄話に夢中になって疎かに作業をしていた。
カッターナイフを持つ手に無造作に力を入れ・・・

『痛って・・・、やばっ、血が出てきた・・・』

左手の人差し指に、刃を刺し込んでしまった。
オレにとっては軽い掠り傷のつもりだったが、隣にいたヨハンが異常な騒ぎ方をしたのを、今でもよく覚えている。

『十代・・・血が・・・血が吹き出してる・・・。大変だ!保健室、いや救急車、救急車呼ばなきゃ!!』
『騒ぐなよ、ヨハン・・・。大袈裟だな。こんなの舐めときゃ治るって』
『十代・・・噴き出した血を・・・舐めるのか?』


・・・。


大袈裟なヤツだとは思ったが、当時のオレはヨハンの家庭環境を聞いた事がなく、十年たった今、これだけの事件へと進展させる原因になるとは夢にも思わなかった。

『十代・・・噴き出した血を・・・舐めるのか?』

なかなかヨハンの笑顔になびかないオレに、亡き父親の面影を重ね・・・一生懸命好かれようと、努めていたヨハン。 出血したオレを間近で直視したヨハンは、誤った記憶を呼び起こしてしまった。


・・・。
・・・・・・。


今日で、あの恐ろしい事件から三年の月日が過ぎる。
結局、あの事件の終結は現代捜査において超能力だの催眠術だのという非科学的な根拠は証拠として実証されず、ヨハンは殺人未遂と銃刀法違反だけの罪に問われた。
また、医学治療においてヨハンの精神状態の不安定さを理由に、執行猶予期間中、幼少期に受けた虐待による心の傷を癒す為、カウンセリングセンターに収容された。


・・・。


オレは今、都心から離れた片田舎に向かって車を走らせている。

「・・・元気でね。あなたはもう、大丈夫。過去の傷を自分で広げちゃダメよ」
「はい。院長先生、三年間本当にお世話になりました」
「がんばってね。これから何があっても負けちゃダメよ」
「ありがとうございます・・・」

今日はヨハンが収容されていたカウンセリングセンターを退院する日。
オレがセンターの外門に到着した時には、ちょうどヨハンが退院の挨拶をしていた。
センターの人に見送られ、外門に向かって一人俯いて歩き出してきたヨハンに声を掛ける。

「思ったより元気そうだな!!」

ヨハンはオレの声に反応して、驚いた様子で顔を上げた。
歩みを止め、オレを見つめるヨハンが呟く。

「じゅう・・・だい・・・。どう・・・して・・・?」

ヨハンがオレを見つめる瞳を見れば、カウンセリングの効果は聞かずとも理解出来る。
ヨハンの澄んだ瞳が嬉しくて・・・ヨハンを見つめていたオレは自然と微笑んで答えた。

「迎えに来たんだ、お前を・・・」
「十代、オレ・・・オレ・・・」

ヨハンがオレに向かって、一直線に駆け寄ってくる。
十年前に出会ったあの頃と同じ表情で・・・。

「十代・・・ごめん、ごめんな。オレ・・・オレ・・・もう二度と十代に会えないと思ってた・・・」
「お前にはオレしかいないだろ、ヨハン・・・」

オレは大きく手を広げてヨハンを受け止めた。
縋りつくヨハンの背に手を回し、安堵の吐息を吐く。
そして力一杯抱き締めるオレたちは、互いを想い、幸せの笑みを零すのだった。